こんにちは!千葉市の貸切無人室内ドッグランわんルームです。
「忠犬ハチ公」と聞くと、渋谷駅で主人の帰りを何年も待ち続けたワンちゃんとして、日本中で知られている存在ですよね。
銅像の前で記念写真を撮ったことがある方も多いのではないでしょうか。
でも実は、このハチ公にはあまり知られていない感動のエピソードや驚きの事実がたくさんあるんです。
今回は、そんなハチ公の“裏側”に迫ってみましょう。
1.ハチはどんなワンちゃんだった?

ハチは、1923年に秋田県で生まれた秋田犬です。当時、東京帝国大学(現在の東京大学)で教授をしていた**上野英三郎(うえの ひでさぶろう)**博士に、生後間もなく迎えられました。
東京・渋谷にあった博士の自宅から大学まで、ハチはいつも上野博士を駅まで見送り、帰りには渋谷駅まで迎えに行っていたそうです。この日課が、ハチにとっては当たり前の“日常”だったのです。
2.主人の死後も駅に通い続けた理由

1925年、ハチが2歳のときに突然の悲劇が訪れます。上野博士が急死してしまったのです。
それからというもの、ハチはなんと10年近く、毎日のように渋谷駅に通い続け、亡き主人の帰りを待ち続けました。最初は駅員や通行人から追い払われることもあったそうですが、次第にその健気な姿が人々の心を打ち、地元の人たちから愛される存在になっていきました。
3.実は最初、あまり注目されていなかった?

ハチが「忠犬」として一躍有名になったのは、1932年の新聞記事がきっかけです。ある新聞記者がハチの話を記事にしたことで、全国から注目を集めるようになりました。
それまでは、ただの“駅前の犬”と思われていたハチ。ですが、記事を読んだ人々からは「こんなに健気なワンちゃんがいるなんて」と感動の声が続出し、渋谷駅には多くの人がハチを一目見ようと訪れるようになったのです。
4.ハチを支えた人たち

ハチはただ一匹で駅に通っていたわけではありません。駅員さんや地域の人々がエサを与えたり、体調を気づかってくれたりと、多くの人の優しさに支えられていたのです。
特に、渋谷駅の構内で売店を営んでいた女性は、毎日のようにハチに食事を与えていたといいます。人とワンちゃんの間に生まれる優しさの連鎖が、ハチを長い間支え続けていたのです。
5.最後まで忠義を尽くしたハチ

ハチは1935年、11歳でその生涯を終えました。亡くなった場所も渋谷駅近く。最期の瞬間まで、主人を待ち続けていたのかもしれません。
現在、渋谷駅にあるハチ公像は、そんな彼の忠義の象徴として今も大切に残されています。毎年4月8日には「忠犬ハチ公慰霊祭」も行われ、多くの人がハチの優しさと絆を思い出しています。
まとめ
忠犬ハチ公の物語がこれほど多くの人の心を打つのは、人間とワンちゃんの間にある深い絆が描かれているからではないでしょうか。
ワンちゃんは、どんなときも私たちに寄り添い、無償の愛を注いでくれます。そんな存在に、私たちも愛情と安心できる環境で応えてあげたいですね。
室内ドッグラン「わんルーム」では、そんなワンちゃんたちがのびのびと遊べる、完全予約制のスペースをご用意しています。雨の日でも安心、清潔な室内で思いっきり走ったり、他のワンちゃんと交流したり。
飼い主さん同士の出会いも生まれやすく、「うちの子のこんな一面、初めて見た!」という発見もたくさんあります。
ハチ公のように、いつまでも寄り添ってくれるワンちゃんに、今できる“ありがとう”を。
ぜひ一度、「わんルーム」でかけがえのない時間を過ごしてみてくださいね。